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昭和初期の本格フレンチから、今日の「Picard」冷凍フレンチまで

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フランスの冷凍食品専門店の「Picard」(ピカール)が、ついに日本にやってきた!

フランスで暮らした20年間、わが家の冷凍庫にはいつもピカールの冷凍食品がいっぱい詰まっていた。

フランス人たちにとって、ピカールの冷食は“国民食”と言えるかもしれない。
共稼ぎ家庭が大半のフランスでは夕食に温めるだけの調理済み冷食が並ぶことが多い。また料理上手なマダムたちにとってもピカールの冷凍素材は欠かせないものとなっているのだ。

フランスの冷凍食品のレベルは高い

渡仏間もない頃はマルシェの生鮮がいちばんで、「冷凍食品なんて……」と思っていたのだが、在仏年数が長い友人から「フランスの冷食のレベルは高いんだよ」と、「Picard」に行ってみることをすすめられた。

そして、買ってみて、食べてみて納得。私はたちまち「Picard」ファンになったのだ。

素材でよく買ったものは、ホウレンソウ、インゲン、エンドウ、そして魚介類。新鮮なまま瞬間冷凍してあるので味が良く栄養価も保たれている。また、使う分だけ解凍すればいいので無駄がなく経済的でもあった。

調理済みでは、ピザ、グラタン、ポタージュスープ、ラタトゥイユ、エスカルゴのブルゴーニュ風、鴨のオレンジソース……などなど家で簡単にフレンチを楽しめるのがよかった。
デザートもいろいろ買った。エクレア、タルトタタン、クレームブリュレ、マカロン、カヌレと、好きなものを上げていくときりがない。

フランスではこれからの季節、クリスマス前は各地の「Picard」はどこもめちゃ混みになる。特別な日のディナーは家で家族揃って食べるのが普通のフランスでは、前菜にも、メイン料理にも、デザートにもピカール製品がずらりと並ぶのだ。

日本上陸1号店となった青山・骨董通りの「Picard」をさっそく見てきた。
値段は本国の約
2倍だが、これは空輸だからしかたがないだろう。入ってきている製品はまだまだほんの一部で、店員に聞いたら「今後、順次いろんな冷食が入ってきます」とのことだった。これからは日本でもおうちで気軽にフレンチが食べられるようになる。さて、「Picard」は日本で定着するのか? 私としては期待したい。

昭和初期に本格フレンチ料理を伝えた恩人

ところで、日本ではいつ頃、本格的なフレンチを食べられるようになったのか?

それを教えてくれるのが『初代総料理長サリー・ワイル』(神山典士・著/アドレナライズ・刊)だ。

関東大震災後の横浜の復興のシンボルとして、昭和2年に開業したホテルニューグランドは、本格的フレンチ・スタイルの料理を目玉とし、レストランには特に力を注いだ。そして初代総料理長としてパリのホテルから招いたのが、ユダヤ系スイス人のシェフ、サリー・ワイルだった。

ワイルの作る料理は格別においしく各地から美食家たちが横浜に集まってきたそうだ。その料理を味わった客には世界のVIPも並ぶ。昭和4年には英国王室ジョージ5世の子、グロスター公ヘンリー王子、昭和6年にはアメリカ人俳優ダグラス・フェアバンクス、ジャズ界の名指揮者チャールズ・フィッシャー、昭和7年には喜劇王チャールズ・チャップリン、昭和9年には野球のベーブ・ルースなどが名を連ねている。

また、ワイルは、皇居で催された饗宴で天皇陛下、満州国皇帝の面前で料理を供したという証言も残っているそうだ。

さらに、ワイルはのちにホテルオークラの初代総料理長となった小野正吉など、日本のフランス料理界におけるきら星のようなシェフたちを多く育ててきた。

それだけの人物にもかかわらず、サリー・ワイルの名を記憶する人は少ない。

本書はノンフィクション作家の神山氏が、サリー・ワイルの足跡と業績をしっかりと後世に伝えるべく、多くの資料を集め、スイスにまで飛んで徹底取材した力作だ。日本に本格的なフレンチを伝えた恩人の生涯、そして彼が育てた日本の弟子たちのすべてが明らかにされている。

忘れられていく料理人たち

料理のレシピには特許はない。だから時代の流れとともに忘れ去られてしまう料理人は多い。次の世代の料理人がもともとあったレシピにひと工夫を加えれば、それは新しい料理人のものとなるからだ。

たとえば本場フランスのフレンチのシェフといえば、まずアラン・デュカス、ジョエル・ロブションが、そのちょっと前にはポール・ボキューズという名が浮かぶ。しかし、かつてフランス料理を世界に広めた偉大なシェフ、オーギュスト・エスコフィエという名前になると、普通の人々はウィキペディアで調べるなどしないと分からなくなっているだろう。

料理は、食材と料理人と火と水と気候と大地とそれを楽しむ人々と、数多の奇跡の出会いの中で一瞬の花を咲かせ、そして消えていく。オーギュスト・エスコフィエもサリー・ワイルもそして多くの料理人も、そうやって生まれ、生き、やがて人々の思い出から消えて行く宿命を背負っている。
だがその巨大な樹形図の中を貫いて、連綿と残るものがある。そのことを刻んでおいてほしいと、ワイルの意思は私を動かしたに違いない。
Bon appetit! A votre sante =さあ召し上がれ、あなたの健康と人生を祝して。
だから今日もあなたの前に現れる一皿一皿の中に、ワイルの微笑みと、料理への情熱がみちている。

(『初代総料理長サリー・ワイル』から引用)

今日の冷凍フレンチ一品一品のレシピにも、多くのシェフやパティシエたちの思いが込められているのかもしれない。

(文:沼口祐子)

【参照URL】
Picardhttps://www.picard-frozen.com/

初代総料理長サリー・ワイル

著者:神山典士
出版社:アドレナライズ
見たこともないメニューと、べらぼうに美味いその味。若き料理人、サリー・ワイルの作る料理を味わおうと、昭和初期の食通達は、横浜のホテルニューグランドに通い詰めた。サリー・ワイルの下から多くの弟子が巣立っていった。ホテルオークラの小野正吉、東京プリンスホテルの木沢武男、日活ホテルの馬場久……。現在の、日本フレンチの絢爛は、彼の生み出す革命的な料理が育んだのだ。
日本の西洋料理はいつ、誰によって本場の味が持ち込まれたのか?
何故ひとりのスイス人が20年間も日本に滞在して料理を創り続けたのか?
西洋料理界を発展させたひとりぼっちのアウェーの闘いとは? ワイルを日本に誘った明治末期のエスコフィエの晩餐会とは?
関東大震災から1980年代まで、日本の西洋料理史が今、つまびらかになる! 日本に本格フレンチをもたらした「初代総料理長」サリー・ワイルの波乱の生涯を甦らせた料理史ノンフィクション。

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