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ナンシー関『小耳にはさもう』を20年後に読み直したら

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小耳にはさもう』(ナンシー関・著/朝日新聞出版・刊)は1990年代前半における日本のテレビや芸能人にまつわるコラム集だ。20年以上も前に出版されたものだけあって、当時は人気者だったが現在ではすっかり見かけなくなった顔や名前が目立つ。

コラムで紹介されている約60名の有名人のうち、いまでも週1回以上のテレビ出演が保証されているのは、ビートたけし、関口宏、小倉智昭、小堺一機、デーブ・スペクターほか数名くらいである。良くも悪くも話題になり続けながら芸能界で生き残っていくのは難しい。

角界(相撲界)のベストカップル

お相撲さんと皇族は、田舎の年寄りにいきなり拝まれる、という点で似ているが、皇族はいきなり背中をたたかれたり不意に写真撮られたりしないからな。だから何だってわけじゃないけどさ。とにかく貴花田に注目、ってこと。

(『小耳にはさもう』から引用)

宮沢りえとの電撃結婚の噂もあった元横綱の貴花田光司だが、いまは貴乃花親方である。妻である元フジテレビアナウンサーの河野景子は、「出たがらない」「でしゃばらない」たったそれだけのことが内助の功になりうることを身をもって体現している。

ちなみに、日本の芸能界における三大でしゃばらない良妻といえば「角界の河野景子」「花柳界の三田寛子」「タモリの嫁」である。森田さんの奥様は、でしゃばらないを通り越してミステリアスでさえある。

「大女優」という奇妙な肩書き

「このつぎ病気になるのはいつだったかな……」
このように、自らの生き死をテーマとしたひとことを私は「森繁ギャグ」と呼んでいる。
(中略)
もういつ死んでも「天寿を全うした」といわれる年齢域に達した人が、自分のその部分をネタにしていった言葉はすべて森繁ギャグとする。これが森繁ギャグの定義である。

(『小耳にはさもう』から引用)

ナンシー関が「長寿の芸能人」という観点からさんざんいじっていた森繁久彌は、ついに逝ってしまった。2009年没。享年96歳。元コメディアン→俳優でブレイクというカテゴリーでは、2010年に亡くなった藤田まことも当てはまる。

泉ピン子は歌謡漫談家の出身である。NHKドラマの『夫婦』や『おしん』にて橋田壽賀子ファミリーの一員となり、同じく橋田脚本の『渡る世間は鬼ばかり』にて不動の地位を得た。

2016年現在、ゲストに招かれたバラエティー番組で紹介されるときの泉ピン子の肩書は「大物女優」あるいは「大女優」である。つまり泉ピン子は、日本の芸能界では大御所ということになっている。ただし、松坂慶子や岩下志麻に冠せられるそれとは異なる。泉ピン子限定の一代名跡のようなものだ。大女優・泉ピン子。

いまだに熱望される引退芸人のコメント

世間は上岡龍太郎に意味をよみすぎている。この人は、お声が掛かれば提灯持ちも厭いません芸人ですよってに、という人なのだ。同じようにちょっと反体制的な発言をすることも、占師とケンカしてみせることも、厭いませんよということである。

(『小耳にはさもう』から引用)

上岡龍太郎は2000年に引退してしまった。その後、テレビから姿を消した7年後に突如あらわれたとき、故・横山ノックにささげた弔事は見事なものであった。名調子いまだ衰えず。上岡龍太郎はわたしたち視聴者の期待を決して裏切らない。

それから9年後。2016年9月に、吉本興業のお笑いタレントで漫談家の「テント」が車にはねられて急逝した。テントは上岡龍太郎の弟子である。

当然のごとく、芸能レポーターは師匠の上岡龍太郎にコメントを求めた。訃報に接したばかりのときには「明日、通夜がありますので、その時にお話させていただきます」(デイリースポーツ2016年9月29日)と答えていた。

不謹慎を承知で言うならば、わたしはこのとき「上岡にとってテントは最愛の弟子だった。きっと、横山ノックにささげた弔事に匹敵する名調子を観賞することができる」と期待してしまった。

思わぬことが起きた。通夜における上岡龍太郎のコメントは以下のとおりだった。「あまりに突然の衝撃的な出来事で、茫然(ぼうぜん)自失です。さすがの私も言葉がございません。最愛の弟子を亡くした気持ちをくみ取って、そっとしておいてください」(デイリースポーツ2016年9月30日)

さらに葬儀でも「テントさん葬儀に200人 上岡龍太郎さん無言貫く」(日刊スポーツ2016年10月1日)だったそうである。意地汚い視聴者を見透かしたような対応で、わたしは恥ずかしくなった。

歯を食いしばって考える武田鉄矢のこと

武田鉄矢は暑苦しい。すべてにおいてなんか過剰だ。武田鉄矢のどこが嫌いなのかを歯をくいしばって考えてみよう。

私は武田鉄矢にも認めるべき「仕事」があったことは否定しない。私も「金八先生」を見て泣いたこともあるし(ちょっと恥ずかしい)、卒業式で「贈る言葉」を歌う学校があったとしてもしようがないと思う。でも、それはそれとして「武田鉄矢が嫌い」というのが世間の感情だと思っていた。

(『小耳をはさもう』から引用)

ナンシー関の「武田鉄矢ぎらい」は有名である。わたしはナンシー関を信奉しているが「武田鉄矢ぎらい」についてだけは同意できない。

武田鉄矢はおもしろい。ナンシー関が言うところの「過剰」も含めて、わたしは武田鉄矢というコンテンツを楽しんでいる。

空回りの例を挙げれば、勝海舟役をつとめたNHK大河ドラマ『龍馬伝』の役作りについてだ。本編中に「言っつくれ!(言ってくれ)」と、昔の江戸弁のイントネーションにて発話していた。ナンシー関の言うとおり、過剰で暑苦しかった。あれはおそらく武田鉄矢が独自に役作りをしたものと思われる。きっとみずから提案したにちがいない。(実際そうでなかったとしても、そうかもしれないと思わせる過剰さが武田鉄矢にはある)

以前から崇拝していることを公言してはばからなかった坂本龍馬役を福山雅治にもぎ取られたにもかかわらず、おなじドラマの現場で強いこだわりをもって仕事をこなす武田鉄矢が、わたしは大好きなのである。

(文:忌川タツヤ)

小耳にはさもう

著者:ナンシー関
出版社:朝日新聞出版
話題の有名人をネタにした、痛快な人物評! 没後3年たった今でもなお、斬新な切り口は唯一無二。テレビ界64人のあの発言、この発言の裏のウラをえぐり出し、抱腹絶倒の消しゴム版画&辛辣コメントが冴え渡る!

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