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海外の長編小説は難解そうで……。じゃあマンガで読んでみたら?

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僕は、海外の長編小説が苦手だ。苦手というのは、嫌いという意味ではない。読み始めればグイグイ惹きこまれて読みふけ、読み終わったら「おもしろかったー」となるのだが、読み始めることがなかなかできないのだ。

海外長編小説が苦手な2つの理由

その理由はいろいろあるのだが、そのひとつが「難しそう」ということ。難しいというのは、話の内容が複雑ということもあるのだが、海外の人の名前や地名を認識するのが苦手なのだ。

高校の世界史の授業も苦手だった。世界史自体は先生がおもしろかったこともあり嫌いではなかったが、とにかくカタカナで書かれる人の名前が頭に入ってこない。地名も入ってこない。というか、固有名詞全般がカタカナなので、入ってこないのだ。

小学生のころに海外の推理小説ばかり読んでいたが、当時はあまり違和感は感じなかった。高校生ともなると頭が固くなってしまうのだろうか。

もうひとつが、「映像情報がない」ということだ。映画やドラマであれば視覚的な情報があるため、登場人物の名前があやふやでも顔で区別することができる。しかし、文字情報しかない小説は、そこを想像力で補っていくしかない。

一人二人なら想像上で登場人物の顔を描き出すことはできるが、人が増えていくとその作業もパンク状態だ。

しかし、そのような状態も小説をある程度読み進めていけば解消されることがほとんど。そのため、最初の「あれ、これ誰だっけ? ここはどこだっけ?」という状態を抜け出せさえすればよい。

つまり、忍耐力が衰えているということなのだろう。悲しい……。

難解な小説もマンガになれば読みやすい

最近ちょこちょこ読んでいるのが、『まんがで読破』シリーズだ。国内外の名著をマンガにしたもの。このシリーズなら、読むのに勇気が必要な海外長編小説も気軽に読むことができるのだ。

今回は、プルーストの『失われた時を求めて〜まんがで読破〜』(プルースト、アートワークス・著/イースト・プレス・刊)をチョイスした。以前から読みたいと思っていたのだが、文庫版で全13巻というボリュームに怖気づき、もう何十年も読もうと思わなかった。

いざ読んでみると、1900年代初頭の貴族階級の生活や、同性愛、スノッブ主義、そして「記憶」に対する独自な解釈と、かなりおもしろい内容であった。

もちろん登場人物の名前はすべてカタカナな上、現在から過去への回想という複雑な時間構成、入り乱れる人間関係……。小説であれば、かなり混乱して早い段階でリタイアしてしまいそうな感じだが、マンガなら楽しく読むことができた。

やはり、マンガの力はすごい。

マンガから入って原作にたどり着くということもある

しかし、小説には小説のよさがある。もし、『まんがで読破』シリーズを読んだのなら、ぜひとも小説のほうも読んでみてほしい。一度マンガで読んでいるのだから、小説も読みやすいはずだ。

たとえれば、映画を先に見てそのあと原作を読むのに似ている。マンガや映画は、原作を100%再現しているわけではない。やはり、最終的には原作を読みたくなる。

今は「マンガなんて……」なんて言われることも少なくなってきた。僕は、どんどんマンガを読めばいいと思う。マンガから得られる感動や知識もたくさんあるし、今回のようになんとなく敬遠していた小説に触れることができる。

もし、「うちの子どもはマンガばっかり読んで、全然本を読まない」と嘆いている親御さんがいたら、『まんがで読破』シリーズを薦めてみたらどうだろう。そして、興味をもったら原作も薦めてみよう。

もしかしたら、小説のおもしろさに気付くことがあるかもしれない。マンガというものは、さまざまな可能性を秘めているのだ。

(文:三浦一紀)

失われた時を求めて〜まんがで読破〜

著者:プルースト、バラエティ・アートワークス
出版社:イースト・プレス
今や私は時空を超えた存在となったのだ! マドレーヌを口した瞬間、少年時代の記憶が甦る奇妙な感覚。「私」の成長とともに描き出される、第一次世界大戦前後のフランス社交界の人間模様。それは「私」の失われた時を探し求める長い旅の始まりだった……。独自の時間解釈と記憶に対する見解を提示し、20世紀の文学・哲学概念を変革させた傑作大長編小説を漫画化!

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